神が築き、王が拝した聖域
神や祖先の霊が降りてくる聖地を沖縄では「御嶽」という。『中山世鑑』(1650年成立の歴史書)の「琉球開闢(かいびゃく)之事」によれば、祖神・阿摩美久(アマミク、アマミキヨ)が天より地上に降りて7つの御嶽をつくった。
そのひとつが現在の南城市知念久手堅にある斎場御嶽である。琉球王国時代には国王の巡礼行事「東御廻り(あがりうまーい)」における最も格式ある参拝地であり、最高位の神女・聞得大君(きこえおおきみ)の即位式も行われた。琉球王国から続く“神のあるところ”を訪ねてみた。

神域は琉球石灰岩にシダ植物が根付いた景観が広がる 撮影=大坂 寛
受け継がれる悠久の自然と信仰心
王国時代には、斎場御嶽の入り口「御門口(うじょうぐち)」から先へ立ち入れるのは、王府関係者の女性に限られていたという。それ以外の人々は、御門口から礼拝する習わしだったのだ。
御門口からは6つのイビ(拝所)に向かって、石畳の参道が続いていた。両側は樹木が覆いかぶさるような森になっている。かつては昼でも光の届かぬ深い森で、近代以後は乱伐と戦災によってかなり様相を変えたというが、再び樹木も成長して枝葉を広げ、聖地にふさわしい森厳さを取り戻しつつある。
参道を進み最初の拝所「大庫理(うふぐーい)」を過ぎて丁字路を左に折れると、突き当たりに異様な巨岩が見えた。大きな鍾乳石が垂れ下がり、下は岩陰になっていて、丹念に石を敷き詰めた祭壇が広がる。この拝所「寄満(ゆいんち)」は王府用語で台所を指すが、ここでは「豊穣(ほうじょう)の寄り満ちるところ」を意味するといわれており、その年の作物の出来を馬の形をした石で占ったそうだ。
道を戻り分岐をさらにまっすぐ進むと、一対の巨岩が寄り添って三角形の隙間ができている。その洞門を潜った先にある石の座敷が拝所「三庫理(さんぐーい)」である。ここの岩壁の上には神が降りた天空を拝む「チョウノハナ」と、久高島遥拝所(ようはいじょ)が残るものの、聖域を保護するため現在は立ち入り禁止となっている。地元の方であろう、洞門の前で手を合わせる親子がいた。斎場御嶽は観光地となった今も、やはり琉球王国から連綿と息づく祈りの聖地なのである。

豊穣の祈りの場「寄満(ゆいんち)」 撮影=大坂 寛
斎場御嶽
- 住所:沖縄県南城市知念久手堅539
琉球王国の宗教行事「東御廻り」における最高位の巡礼地。大庫理、寄満、アマダユルアシカヌビー、シキヨダユルアマガヌビー、三庫理、チョウノハナという6つの拝所を1時間弱で巡ることができる。巨岩と亜熱帯植物の隙間から光が差し込む祭祀場は、古来の自然信仰を感じさせて深い畏敬と静寂を促す。
2000年にユネスコの世界文化遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一部として登録されてからは、国内外から年間40万人が訪れる沖縄屈指の名所となった。その一方、東御廻りを受け継ぐ地元の人々にとっては、今も心のふるさとであり続けている。

斎場御嶽からは「神が降り立った島」と呼ばれる久高島を遥拝できる 撮影=大坂 寛

大広間という意味を持つ大庫理(うふぐーい)。岩の前面は祈りの場 撮影=大坂 寛

三庫理の手前では、2本の鍾乳石から滴る聖水をつぼが受け止めており、それぞれが拝所とされる 撮影=大坂 寛

入退場口を飾っていた風鈴仏桑花(ふうりんぶっそうげ)。仏桑花とはハイビスカスのことで、沖縄では神前・仏前によく飾る 撮影=大坂 寛
取材・文・編集=北崎 二郎
協力:南城市教育委員会
バナー写真:斎場御嶽の象徴ともいうべき「三庫理」 撮影=大坂 寛
