祭りに欠かせない太鼓の響き
太鼓ほど祭りにおいて幅広い役割を担う楽器はない。幕開けに大きくひと打ちすれば場を清め、神様に祭礼の始まりを告げる。激しい連打は雷鳴や天に昇る龍を表し、豊穣(ほうじょう)をもたらす雨乞いとなる。「念仏踊り」では同じリズムを延々と繰り返すことで、無我の境地へと導き、踊り手を仏様に近づけていく。
神事に欠かせない太鼓は、時に祭りの主役を務めることもある。郷土色豊かな三大太鼓祭りを紹介したい。
岩手「盛岡さんさ踊り」
(盛岡市、8月1~4日)
岩手の県庁所在地・盛岡市の中央通りは、8月1日の夕刻になると太鼓を抱えた人々で埋め尽くされる。4日間で延べ2万5000人が参加する大パレード「さんさ踊り」の始まりだ。
腰帯を巻いた浴衣姿の「ミスさんさ踊り」5人が華やかに先導し、大通りいっぱいに広がった太鼓隊が、「サッコラ、チョイワヤッセ」と高らかな掛け声を上げる。大群衆が一体となるパレードは、例年110万人を超える観客を圧倒する。

ミスさんさ踊りは選出されてから2カ月間、稽古に励む。行列の先頭で、その成果を披露する
これほどまでに多くの人を魅了するさんさ踊りは、単なる観光祭ではない。鬼退治の伝説に由来し、江戸時代に根付いた歴史ある踊りの行事だ。
その昔、里では鬼が暴れまわっていたため、人々は三ツ石神社に成敗を願った。神は3つ並んだ巨岩に鬼を縛り付け、もう悪さをしないと約束の手形をその岩に押させた。鬼退治に喜んだ里人は「さんさ、さんさ」と囃(はや)しながら踊ったという。

市内最古の三ツ石神社。さんさ踊りと、県名“岩手”の由来「鬼の手形」伝説で知られる
やがてさんさ踊りは盆踊りと混じり合い、厄払いとして継承されてきた。今も本番に先駆けて、ミスさんさらが三ツ石神社に踊りを奉納する。
東日本大震災からの復興を願った2014年6月のイベントでは、3437人による「和太鼓の同時演奏」のギネス世界記録を樹立。日本を代表する太鼓祭りであることを、名実ともに証明した。

フィナーレには世界記録を記念した大パレードや一般参加の輪踊りで会場が一体となる
鹿児島「伊作太鼓踊」
(日置市、 8月28日)
鹿児島は中近世に南九州を治めた島津氏の本拠地で、15~16世紀は戦乱続きであった。県内には現在も勇ましい戦勝祈願や祝勝の祭りが数多く残っている。
その一つ「伊作太鼓踊(いざくたいこおどり)」は、薩摩半島中部の日置市にある南方神社の大祭。起源は、島津分家の伊作氏が1406(応永13)年、田布施郷(現・南さつま市金峰町)を攻略した時の勝利の踊りと伝えられる。
祭りの朝、太鼓を打ち鳴らして踊る「平打ち」20人以上が白装束に身を包む。胸には太鼓をつけ、薩摩鶏の尾羽の飾りと、竹で編んだ約2メートルの矢旗を背負う。合わせて20キロもの重量だ。
踊りでは平打ちの輪の中心に、色鮮やかな花笠に着物姿で小太鼓や鉦(かね)をたたく「中打ち」4人と、数人の唄い手が加わる。威勢の良い男衆の平打ちに対して、小中学生の中打ちはあどけなさが印象的だ。
最初に踊りを奉納する南方神社は、真っすぐな杉の木が何本も高く伸び、すがすがしい雰囲気が漂う。ここから、日本一過酷な太鼓踊りが始まる。
平打ちが太鼓を一斉に打ち出し、一糸乱れぬ踊りを見せる。足を高く上げ、背中の羽飾りを左右に、矢旗を地面に着くほど上下に振るのだ。勇ましい踊りは、600年前の伊作軍もかくやと思わせる。炎天下に踊り詰めでは息も絶え絶えになるので、曲の合間に付き添いが大きなうちわで懸命にあおぐ。
一団は朝から日暮れまで、30分刻みで踊っては移動を繰り返す。翌日も丸一日踊り続け、2日間で伊作地区内を30カ所以上も回る(2025年は1日のみ)。足袋の下はばんそうこうだらけになるが、途中雨が降っても休むことはない。最後の踊りを終えた軍団は疲労を堪えながら、観衆に一礼をして去っていく。薩摩隼人の誇りと剛健さあふれる過酷な祭りだ。
岐阜「飛騨古川祭」
(飛騨市、4月19・20日)

初日は豪壮な太鼓が主役。2日目の屋台は豪華で、祭りは国の重要無形民俗文化財に指定されている
太鼓は演奏だけでなく、時を告げる道具でもある。刻(とき)太鼓やふれ太鼓などと呼ばれ、祭りや興行の開始を知らせるものだ。
岐阜県北端に位置する飛騨市の「古川祭」では、およそ200年前より継承される「起し太鼓」が名物。かつては、気多若宮神社の例祭が始まる夜中に太鼓を鳴り響かせ、氏神を迎えると同時に、寝静まった里人を起こして集めたという。

太鼓の上に2人、打面に2人いるたたき手は祭りの花形。ばちは自らの手で柳の木から作り上げる
祭り初日の夕暮れ、市街中心地の祭り広場では、直径80センチの起し太鼓を載せた神輿(みこし)型のやぐらが出立を待つ。太鼓の胴の上には、白いさらし姿の若者2人が背中合わせでまたがり、互いの体を白布でしっかり結ぶ。手には大きなばちを握りしめており、やぐらを囲む若衆が「めでためでたの若松様よ…」と祝い唄を斉唱すると、起し太鼓を打ち響かせる。まさに祭りの華となる場面だ。
この起し太鼓のやぐらを若衆らが担いで街中へと繰り出すと、各地区の氏子が、小太鼓を中央に結んだ3.5メートルほどの棒を持って体当たりしてくる。この「付け太鼓」を、起し太鼓にぴったりつけて随行することが、町の栄誉とされるのだ。担ぎ手はそれをはね返そうとして、数百人の男たちがもみ合いになる。さらには、地面に立てた付け太鼓の棒に登り、曲芸を見せる度胸自慢まで現れる。
熱気あふれる攻防戦は、夜更けまで続く。開幕セレモニーだった起し太鼓が今では祭りの主役となり、勇ましい音を響かせて町を活気づけている。

2日目は一転して、華やかでのどかな雰囲気。各町の多彩で豪華な屋台がずらりと並び、からくり人形や子ども歌舞伎も演じる
※祭りの日程は例年の予定日を表記した
写真=芳賀ライブラリー








